Researcher Profile

芸術と科学を心に抱いて

09 February 2007 (Volume 2 Issue 2)


Nguyen Dinh Dang

グェン・ディン・ダン(Nguyen Dinh Dang)研究員にとって、芸術は不可欠な存在だ。彼は5歳のときに絵を習い始め、すぐに頭角を現した。その芸術的な才能と強い情熱をもってすれば、彼は画家として成功できたかもしれない。しかし、戦時下のベトナムでは、芸術活動には規制があり、画家として生計を立てることはむずかしく、彼は科学を仕事にする道を選んだ。しかし、芸術への思いは消えることはなかった。ベトナム戦争や物不足といった状況下でも、このハノイ出身者の絵画への情熱が衰えることはなかった。 「自分自身を画家だという人は多いですが、この世で最もむずかしく、最も美しいものは宇宙の謎であり、これを理解できるのはほんの一握りの人だけです」とダン研究員は話す。彼は今、理研仁科加速器研究センター(埼玉県和光市)で原子核理論の研究に従事する。

ダン研究員は数学と物理学を得意とし、1975年のベトナムの国立大学入学試験でトップクラスの成績を獲得した学生の一人だった。そのため、海外で勉強するための奨学金を国から取得し、基礎科学の研究では世界でもっとも優れた研究機関の1つであるモスクワ大学を選んで、1976年に入学した。

モスクワ時代、すばらしい美術館を訪れたり、休日、絵を描くことに没頭したりしたことを、ダン研究員は思い出す。学問に関しては、モスクワ大学より原子核物理学のPh.D.と、物理学と数理科学の博士号を取得した。

1990年代初め、ダン研究員は、ポスドクとしてドイツとイタリアで研究生活を送ったが、イタリア滞在中のある日、意外にも日本の奨学金を申し込むよう薦める手紙を受け取った。後に彼は、この手紙が、モスクワ近郊のドゥブナにある共同原子核研究所(JINR)の高名な物理学者であり、Ph.D.の指導教官であったヴァディム・ソロフィエフ(Vadim Soloviev)の推薦によるものであったことを知った。

イタリアから故国へ戻ったダン研究員は、ベトナムで初の大規模な原子核物理学の国際会議を計画し、1994年春に開催した。その会議で、彼は、原子核物理学分野で理論研究者として名を馳せ、当時の理研理事長であった有馬朗人博士と出会った。有馬前理事長は、ダン研究員を「複数の外国語を操れるうえ、自分の考えを明確に述べることができ、物理学の基礎をきちんと理解している人物だった」と評する。

自然界の基本構成要素の振る舞いを研究

ダン研究員のみならず、多くの物理学者が、異常な状況下の原子核の振る舞いを研究している。原子の中心部にある原子核は陽子と中性子から成る。陽子と中性子が正しいバランスを保っていれば原子核は安定だ。しかし、原子核が大きく変形したときや、陽子よりも中性子の数がずっと多いとき、原子核は不安定になりやすい。原子核の温度は、高い励起エネルギーではずっと高くなる。安定した原子核の特性はよく研究されているが、極端な条件下での原子核の特性の大部分は謎のままだ。こうした原子核の構造をさらに深く理解すれば、宇宙の成り立ちについて新しい知見が得られるものと考えられている。

原子核の重要な現象のひとつが「巨大共鳴」だ。巨大共鳴は一種の振動であり、多くの核子がかかわり、原子核の平衡形状を中心にある振動数で振動する。振動のタイプによって巨大共鳴の状態は異なる。「こうした特性を研究すれば、原子核について多くのことが明らかになる」とダン研究員は話す。

最もよく知られた巨大共鳴は、原子核の中のすべての中性子に対してすべての陽子が集団で運動する振動だ。このタイプの巨大共鳴は「巨大双極子共鳴」(GDR)とよばれ、約70年前に光核反応において発見された。ダン研究員は1980年代初めから原子核の巨大双極子共鳴を研究し、滞在先の各国研究機関で専門知識を積み上げてきた。

30年間の論争を終わらせる

1994年、来日したダン研究員は、東京大学原子核研究所で10か月間、特別研究員を務めた。その間に有馬前理事長から理研で研究するようもちかけられ、1995年に理研に入所、その後巨大共鳴に関連し、かつ研究者間で意見の分かれていたガモフ-テラー型とよばれる問題に取り組んだ。この共鳴は、上向きスピン(あるいは下向きスピン)の中性子が、下向きスピン(あるいは上向きスピン)の陽子に対して振動するときに起こる。この現象は、崩壊によって起こる超新星の初期の力学に関係するため、ニュートリノ物理学や宇宙物理学において重要な研究課題である。

問題は、実験では、理論的に予測された約60%の強さの共鳴しか起こらないことだった。この不一致について2つの説明が示され、世界中の研究者たちの意見は二分した。有馬前理事長は、核子以外の自由度を含まない、よりシンプルな説明を支持する代表的な研究者の1人だったが、支持する研究者はあまり多くなかった。

1997年、大阪大学核物理研究センターの研究者らが、有馬前理事長の理論を支持する決定的な実験結果を得ることに成功した。同時に、ダン研究員は理研のコンピューターの最先端の計算能力と微視的なアプローチを組み合わせ、新しいモデルを提案した。彼の理論的計算結果は実験データとよく合った1。こうして有馬前理事長のグループは実験と理論の不一致を説明することにおおむね成功し、30年間にわたる議論を終結させた。

原子核は、重イオンどうしの融合で新しい原子核が形成されるときなどには熱くなる。ダン研究員はこの現象に長年関心をもち続けており、今度は熱くなった核における巨大双極子共鳴の研究に重点的に取り組み始めた。このような「熱い原子核」から得られた巨大双極子共鳴の幅は、あまり高くない温度では温度とともに増加するが、温度がある値に達するとそれ以上大きくならない。さまざまな試みが行われたが、物理学者たちはこの現象を矛盾なしに説明することができなかった。

1998年、ダン研究員と有馬前理事長は巨大双極子共鳴の温度依存性を明快に説明する新しいモデルを提案した。その計算結果により、どの温度まで幅が大きくなり、どの温度で幅の拡大が飽和するかがうまく説明された2(図1)。2003年、彼らはその理論を改良し、原子核の超伝導性についての重要な効果を初めて示し、同時に共鳴幅の温度依存性にさらに包括的な説明を与えた3。熱い原子核と巨大双極子共鳴の研究に使うことに成功したことから、ダン研究員は、このモデルをほかのタイプの共鳴にも応用しようと、現在研究を進めている。

芸術とともに

日本に来たことで、ダン研究員は科学研究において成功を収めたが、同時に彼の芸術面の才能も大きく磨かれた。「日本に来て初めて、いつも絵を描いていられる生活を確立できました」と彼は話す。4年間のブランクを経て、彼は1995年に再び絵を描き始め、それ以来、多数の個展と共同展覧会を開いてきた。アイデアが浮かべば、夜と週末は絵を描いて過ごしているという。

ダン研究員の絵はこの20年間で印象派からシュルレアリスム(超現実主義)に変わった。シュルレアリスムを代表する有名なサルバドール・ダリは、今も彼の好きな巨匠の一人だ。「シュルレアリスムは私に最もあった表現方法です」と彼は言う。最近描いた「Winter Ocean」という絵には、彼自身と、彼の父親にひときれのバナナを食べさせようとする彼の母親が描かれている(図2)。背景の2組のカップルも、パリでの学生時代の両親である。ダン研究員は、東京で毎年開かれる主体美術協会の展覧会で2度、佳作作家に選ばれた。今年11月には、12人の日本人芸術家とともにハノイでグループ展を開く予定である。

ダン研究員は、芸術作品の意味を言葉で説明するのは重要なことではない、と話す。しかし、感覚はあらゆるものごとにとって重要である。「芸術と科学という2つの創造的プロセスにおいて、もっとも重要なのは直観です。私たちは何かを直観的に感じますが、その直観がどのように生まれたかを説明することはできませんね」と彼は語っている。

About the researcher

1958年ハノイ生まれ。1982年モスクワ大学卒業、1985年に同大学より原子核物理学におけるPh.D.を、1990年には物理学と数理科学の博士号を取得。1994年、仁科記念財団の特別研究員として来日し、1995年に理研に入所。現在、理研仁科加速器研究センター本林重イオン核物理研究室に所属。ベトナム原子力委員会の原子核科学技術研究所の上級科学者も務め、1982年より同研究所の終身雇用研究員。また、ベトナム美術協会と日本の主体美術協会のメンバーを務め、ベトナム語、英語、ロシア語、フランス語を話す。個人のウエブサイトは。